米国・欧州の共同声明によると、欧州連合はCSRD、CS3D、EUDR(EU森林破壊規則)に関する米国の懸念に対して譲歩する姿勢を示しました。 

この声明は、EUの持続可能性規制が貿易協定の圧力により大幅な見直しを迫られる可能性を示唆しており、特に民事責任制度や気候移行義務の後退が懸念されています。 

本稿では、この共同声明が示す規制変化の内容を分析し、不確実性が高まる環境下で企業が検討すべき対応戦略について考察します。 

1.米欧通商協定の概要(上記リンク内No.12)

CSRD/CS3D規制に関して

  • 大西洋横断貿易への過度な制限を回避するための取り組み 
  • 中小企業を含む企業の管理負担軽減への努力
  • デューデリジェンス義務違反に対する統一民事責任制度の要件気候移行関連義務への変更提案 
  • 米国のような高水準の規制を持つ非EU諸国の企業に対するCS3D要件の適用方法について、米国の懸念に配慮  

EUDR規制に関して

  • 米国内で生産される対象商品は森林破壊リスクが極めて低いことをEUが認識 
  • 米国の生産者・輸出業者の懸念に対処し、米EU貿易への過度な影響を回避する取り組み 

2.共同声明の分析および含意

1. 規制の後退懸念 

持続可能性政策の根本的な変革  
EUの野心的な持続可能性規制が貿易協定の圧力で弱体化する可能性は、単なる技術的調整を超えた根本的な政策転換を意味します。特に、EU域内では気候変動対策や人権保護を経済活動の前提条件として位置づけてきましたが、現地の専門家や企業担当者からは「貿易協定が米国にとって不要な規制を排除するための新たな万能ツールとして利用されている」と批判しています。 

民事責任制度への見直しの深刻な影響  
CS3Dの民事責任制度の見直しは、企業の説明責任を根本的に減じる恐れがあります。これまで企業は、サプライチェーンでの人権侵害や環境破壊について法的責任を負う可能性がありましたが、この制度が弱体化されれば、被害者の救済手段が大幅に制限されます。また、企業にとってのデューデリジェンス実施のインセンティブも大きく削がれることになります。 

気候移行義務の後退リスク  
気候移行義務の変更は、パリ協定の目標達成に向けたEUの取り組みにも影響を与える可能性があります。企業の気候変動の対応計画の詳細度や拘束力が弱められれば、実質的な脱炭素化の進展が遅れる恐れがあります。 

他方で、欧州中央銀行のラガルド総裁も、CSRDの適用範囲の縮小提案(オムニバス法案に対する各議会による提案)に対する警告の中で、報告対象企業の削減により「企業レベルのデータ入手可能性が制限され、ユーロシステムの気候関連金融リスク評価能力が弱まる」と指摘しています。これは2026年後半に導入予定の担保枠組み「気候要因」の実効性を損なう恐れがあります。企業の気候移行の義務弱体化と対象企業の削減により、金融システム全体で利用可能な気候データが大幅減少し、EU全体の気候政策の基盤が損なわれる相乗効果が懸念されます。 

2. 米国企業への優遇 

「高品質規制」という曖昧な基準  
「関連する高品質な規制を有する非EU諸国」という表現は、実質的に米国を指していますが、この基準の定義が曖昧である点が問題となります。何をもって「高品質」とするのか、誰がその判定を行うのか、基準の透明性や客観性に疑問が残ります。これは他国に対する差別的取り扱いの温床となりかねません。 

3.今後の動向 

EU内政治プロセスへの深刻な影響と立法主権の問題
この協定内容は、EU議会や各加盟国議会での批准プロセスにおいて激しい議論を呼ぶ可能性が高いといえます。その背景には、単なる政党間対立を超えた根本的な民主的統治の問題が存在しています。

特に重要なのは、EU議会・理事会の立法権限への外部からの制約という立法主権侵害の問題です(EU条約第289条の共同決定権への制約)。通商協定によってEU法の内容が事前に制約される構造は、民主的プロセスより貿易協定が優先される前例となり、EU共同立法者の主権を根本的に損なう恐れがあります。これは、EU条約に基づく民主的意思決定プロセスの根幹に関わる問題として、法的・政治的な論争を引き起こす可能性が高いでしょう。

さらに、持続可能性政策と貿易政策の優先順位をめぐる議論も激化すると予想されます。環境・人権保護より貿易利益を重視する今回の姿勢は、EU条約に明記されたEUの価値観(第3条の持続可能な発展、基本権憲章第37条の環境保護)との整合性について疑問を投げかけています。特に緑の党や左派政党からは、EUの基本理念に反する協定として強い反発が予想され、批准プロセスの長期化は避けられない可能性があります。

また、この協定の適法性について、EU司法裁判所による審査も注目されます。EU法の階層構造において、条約レベルの価値観と通商協定の内容との整合性や、EU機関の権限配分への影響などが争点となる可能性があります(過去のOpinion 2/13やKadi判決における国際協定の適合性審査の先例)。

他国・地域への波及効果  
この協定が成立すれば、他の主要貿易相手国も同様の譲歩を要求する可能性が高くなります。これにより、EUの持続可能性規制は段階的に骨抜きにされる危険性があります。

民間セクターの対応分岐  
企業側では、規制緩和を歓迎する声がある一方で、既に高い基準で取り組みを進めている企業からは競争条件の不公平化への懸念も出ています(これをインセンティブと取るか否かは企業にも拠る)。

これらの動向が日本企業や日本政府に与える具体的影響については、協定の技術的詳細や批准プロセスの進展、さらには他国の対応状況を注視する必要があります。また、持続可能性規制の変更が実際にどの程度実現されるかは、EU内の政治的議論や司法判断にも大きく左右されるため、現時点での詳細な影響分析や具体的戦略提案については、今後の展開を見極めた上での検討が適切と考えられます。

4.変化する規制環境への対応 

米欧通商協定における持続可能性規制の変容は、グローバルな規制環境に重要な転換点をもたらす可能性があります。EUが「貿易利益」と「持続可能性価値」の間で揺れ動く現状は、企業の持続可能性戦略にも重要な示唆を提供しています。

規制環境の不確実性の高まり
今回の協定内容や批准プロセスの行方、さらには他国への波及効果など、多くの変数が企業の事業環境に影響を与える可能性があります。このような環境下では、継続的な情報収集と柔軟な対応体制の構築が不可欠となります。

規制対応から価値創造への転換の重要性
規制要件の変動に一喜一憂するのではなく、持続可能性への取り組みを本質的な価値創造活動として位置づけることが、長期的な競争優位性の源泉となる可能性があります。特に、ステークホルダーの期待水準は規制変更に関わらず高水準を維持する傾向にあり、企業には「規制以上の取り組み」が求められ続けるでしょう。

国際的な制度設計への参画機会の拡大
今回の米欧協定への批判的反応は、「対立的要求」より「建設的協力」が長期的に有効であることを示しています。日本企業や日本政府にとっては、技術的専門性や実務経験を活かした建設的な貢献により、国際的な制度形成プロセスにおいて影響力を発揮する機会が拡大していると考えられます。

米欧協定の最終的な帰結は不確実ですが、この動向を通じて明らかになったのは、持続可能性をめぐる国際的な議論の複雑化と、その中で企業に求められる戦略的思考の重要性です。変化する規制環境への適応と、本質的な価値創造の両立が、今後の企業経営における重要な課題となるでしょう。

Photo by Elena Mozhvilo on Unsplash