※2025年2月26日に公開されたオムニバス法案の内容についてはこちら
2024年、欧州は政治・経済・規制の分野で劇的な転換点を迎えました。地政学的緊張、ロシア-ウクライナ戦争、中国との競争激化、気候変動対応などの複合的課題に直面する中、欧州連合は「欧州オムニバス簡素化パッケージ」による大胆な規制簡素化に踏み切りました。フォン・デア・ライエン欧州委員長が、一期目に掲げた野心的な「欧州グリーン・ディール」から、「競争力コンパス」(後述)へと新しいアプローチに舵をとり、CSRDをはじめとする企業の規制対応に根本的な変化をもたらそうとしています。
本稿では、その背景にある政治的転換点と今後の展望を解説します。
3つのポイント
1, 2024年欧州議会選挙(6月):政治的地殻変動
2024年の欧州議会選挙は、まさに規制政策の転換点となりました。保守派の欧州人民党(EPP)が議席を大幅に伸ばし、これまで強い影響力を持っていた緑の党や欧州自由連盟は議席を大きく減らしました。この選挙結果は、単なる政治的な勢力以上の意味を持ちました。
環境規制一辺倒のアプローチから、経済的現実性と持続可能性のバランスを重視する方向へと、欧州の政治的な風向きが大きく変わったことを示唆しています。
2, ドラギレポート(9月):規制負担への警鐘
マリオ・ドラギ元ECB総裁が作成したレポートは、この文脈において決定的な役割を果たしました。レポートは、既存の規制が欧州経済に与える影響として、例えば温暖化対策の負の側面を指摘。生産コストの増加や国際競争力の低下につながると批判しました。
同氏は、このようにEUの規制アプローチが革新と生産性を抑制している現状を明確に示しました。単なる批判にとどまらず、具体的な改革の必要性を強く訴えたことで、政策立案者たちに大きな影響を与えたと言えます。
3, ブダペスト宣言(11月):改革の具体的な青写真
その後発表されたブダペスト宣言では、これらの問題に対する具体的な解決策を提示しました。特に注目すべき目標として、以下の点が挙げられました:
規制簡素化の推進
- 中小企業の報告要件を少なくとも25%削減
- 行政的、規制的、報告上の負担の大幅な軽減
- 企業に対する「信頼に基づく」新たなアプローチの採用
競争力強化
- イノベーションと生産性のギャップ解消
- 単一市場の潜在能力の最大化
- 企業、特に中小企業とスタートアップの成長支援
脱炭素から競争力復活ーオムニバス簡素化パッケージ(オムニバス法案)の誕生
このように欧州が直面する多層的な課題を踏まえ、欧州委員会は2025年1月、「競争力コンパス」と呼ばれる新しい経済成長戦略を発表しました。ドラギ氏の提言に基づくこの計画は、欧州全体の競争力向上と経済活性化を目指しています。
競争力向上の5本柱
コンパスは次の5つの横断的戦略で構成されています:
- 規制の簡素化 – 企業の行政負担を軽減
- 単一市場の障壁削減 – 欧州内の取引をスムーズに
- 成長投資の促進 – 重要分野への資金調達を強化
- 人材開発 – デジタルスキルなど未来の雇用に必要な能力育成
- 政策の一貫性確保 – EU全体と加盟国の取り組みを調整
第一弾のオムニバス簡素化パッケージ
この包括的戦略の最初の具体的な一歩として、「オムニバス簡素化パッケージ」が導入されました。この施策は特に以下の4つの分野に焦点を当てています:
- 持続可能性報告の効率化 – 大企業に報告義務を集中させ、中小企業の負担を軽減
- デューデリジェンスの簡素化 – 責任あるビジネス慣行を過度な手続きなく支援
- 炭素国境調整メカニズムの強化 – 気候変動対策とフェアトレードの両立
- 欧州投資プログラムの活用促進 – 企業の成長資金へのアクセス改善
この計画により、欧州委員会は2029年までに一般企業負担を25%削減し、中小企業については35%削減することを目指しています。
パッケージの本質:改正か、統合か?
しかし、このパッケージの正確な性質については、多くの疑問が残されています。「オムニバス」という言葉を使用したことで、単なる言葉の混乱に過ぎないのではないかという懸念の声も上がっています。
専門家の間では、この3つの規制を完全に統合するのではなく、修正する形を取る可能性が高いと考えられています。過去のオムニバス指令から推測すると、各規制の本質的な内容は維持しつつ、その適用プロセスや報告要件を簡素化する方向性が示唆されています。
立法プロセスの不確実性
通常、欧州の立法プロセスでは、3つの主要機関(欧州委員会、欧州議会、欧州理事会)が個別に提案を可決し、その後最終合意に向けて交渉を行います。従来のプロセスでは、最終草案が作成された後は各機関に戻されても変更できないとされてきました。
しかし、最近のCSDDDのプロセスは、この従来の手順を覆す先例を作りました。さらに、2024年11月の森林破壊防止規制(EUDR)の実施延期は、2025年12月30日まで延期されるなど、欧州の立法プロセスの不確実性を示す興味深い事例となっています。
さらには、通常パブリックコンサルテーションを実施して提案するところ、今回のオムニバス簡素化パッケージは非公開(影響評価は非公開、業界円卓会議に限定)で進められたことです。この異例の手続きは、専門家をはじめ、多くの企業や市民団体から批判的な反応を引き起こしています。透明性の欠如に対する懸念が高まっており、プロセスの正当性に疑問が投げかけられています。
これらの議会の動きは、オムニバス簡素化パッケージが単なる報告要件の簡素化を超えた、より広範な議論を引き起こしており、特に、欧州の新たな政治的方向性を考慮すると、その可能性はさらに高まっていくと言えるでしょう。
今後の展望
ドイツの元ショルツ首相やフランス政府による規制延期の要求、市民団体の反応など、さまざまな利害関係者の意見が、このパッケージの行方を複雑に彩っています。
最終的な結果を確実に予測することは困難ですが、企業にとってはこの変化を注意深く、そして戦略的に見守る必要があります。
たとえ規制の枠組みが変更され、直接的な報告義務が緩和されたとしても、企業の持続可能性への戦略的アプローチは依然として重要です。むしろ、この変化を自社の競争力を強化する機会と捉え、自主的かつ戦略的に持続可能性への取り組みを継続することが求められます。
Photo by Unsplash(Clu Soh)
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